残念な思い出

お客様のDXの実践に貢献する前にやるべきことがあるのでは?

DXの本質

こんなテーマでの講演を、大手SI事業者からご依頼を頂きました。受講者は、マネージメントや経営層で、「働き方改革」とも絡めて話をして欲しいとのことでした。

講演当日、会場のあるビルに伺ったところ、受付で荷物検査があり、持ち込みPCがある場合は、申請書にシリアル番号を記載し、受付の方がこれを確認するという段取りになっていました。私はその指示に従って手続きを済ませて何の問題もなく会場にご案内頂いたのですが、同時に持ち込んだiPadについては何の確認もされず、当然ながらポケットに入っていたiPhoneも確認をされることはありませんでした。

以前、このお客様で早朝の打ち合わせで伺ったときは、まだ受付が開いていなかったので、守衛室に回されたのですが、そこではPCの確認さえもありませんでした。

そんなお客様での講演の中で、ここで経験したことをご紹介した後、このような話をさせて頂きました。

「AIに取り組むのは、大変けっこうなことですが、まずはこのような形骸化した習慣を洗い出し、辞めてしまうことから始められてはいかがでしょうか。そうすれば、余計な仕事はなくなり、時短もコスト削減もできるはずです。」

この講義を聴講された経営者から次のような言葉を頂きました。

「大変参考になった。まずは、自分たちの足下を見直すことから始めたい。」

その後、この会社でどのような取り組みが始まったかは知りませんが、半年後に伺ったときにも、まだこのルールが残っていました。「変化に俊敏に対応できる企業文化」への道のりは、遠いようです。

この会社のホームページには、「お客様のDXに貢献する」との熱いメッセージが掲げられています。ただ、内実を少しばかり垣間見てしまったものとしては、どのような貢献をして頂けるのか不安になってしまいました。

RPAでDXが加速する?

あるSI事業者のイベントでDXに絡めてRPAについて話をして欲しいとご相談を頂きました。本当に私でいいのかと念を押したところ是非にとのことで話をさせて頂きました。そこで私は次のような話をさせていだきました。

「RPAの導入は確かに人手によるコピペやキー入力の仕事を劇的に効率化し、ひと月かかっていた仕事を半日にしてくれるかも知れません。しかし、その業務が属人化していて、そこで働いていた人がいなくなってしまうことで、もはや何のために、何をしているのかさえわからないままにブラックボックス化してしまうことはないでしょうか。また、1つの業務プロセスを半日にしても他の業務が今まで通り1ヶ月サイクルで回っているとすれば、会社全体のビジネス・スピードの改善にはつながりません。一時的には人件費の削減にはつながりますが、むしろ業務改善や改革の足かせになってしまうかも知れません。」

RPAを「DXを加速するツール」だと喧伝するのはけっこうなのですが、それをどう使うかを合わせて伝え、RPAを導入する前に業務の改善や改革をすすめ、効果的な対象範囲を絞りこまなければ、むしろRPAはDXの足かせになってしまいます。「変化に俊敏な企業文化への変革」であるはずのDXが、RPAによる業務プロセスのブラックボックス化が拡がれば、変化に俊敏に対応できなくなり、RPAはDXの足かせになってしまいます。

何もRPAを悪者にするつもりはありませんが、短期的な目に見える効果だけしか考えず、もっと本質的で根本的な「あるべき姿」を見据えたシナリオを描き、RPAの使い方を考えなければ、DXとは裏腹の結果を招いてしまいます。だから、十分に検討した上で導入した方がいいと申し上げました。

お客様の反応はすこぶる良かったのですが、私に仕事を依頼したSI事業者にしてみれば、期待外れだったかも知れません。後で話を伺うと、そもそもそんなことまで考えてRPAを売ってはいなかったとのことで、これから売り方を考えるとのことでしたが、さて、どんな施策を打ち出されるのかが楽しみです。

クラウドを使えない人たちがクラウドを売ることができるのか?

クラウドの活用をお客様に積極的にすすめたいというSI事業者の方から、その売り方についてご相談を頂いたことがあります。そこでこちらも資料を作り、Google Driveで共有しようとしたところ、ファイヤーウォールに引っかかって使えないというのです。ならば、Boxはどうか、DropBoxはどうかというと、それも使えないと言うことでした。仕方なく、大きなファイルをメールの添付ファイルで送ったのですが、自社で構築・運用しているメール・サーバーの容量制限に引っかかってしまい送れません。しかたなく、ファイルを容量制限の範囲内に分割して送ることにしました。

クラウドストレージだけではありません。この会社では、「セキュリティ」を理由に、使えないクラウドサービスが他にも沢山ありました。お客様との仕事の関係で、それでは支障をきたすということで「裏ルート」なる別のファイアーウォールが用意されていたり、私用のPCとネットワークで対応したりしている人たちも少なからずいます。このような例外こそが、セキュリティ上の最大の脆弱性であることは、セキュリティ対策の常識ではないかと思うのです。

「クラウドの活用をお客様に積極的にすすめたい」とのご相談でしたが、まずは自分たちがクラウド活用を積極的に進めるべきではないかと、苦笑いしてしまいました。

ツールを使うことで効率もセキュリティも貶めてはいませんか?

あるSI事業者のzoomを使ってのオンライン講義で、受講者は、50人のはずなのに100人が参加されています。よく見ると「山田太郎」と「山田太郎_sub」というように一人が2つの端末を使っているようでした。研修の担当者に話しを聞くと、次のような事情があるとのことでした。

「セキュリティ対策で受講者は全員シンクライアントで参加しており、カメラがついていません。ただ、講師に失礼になるので自分のスマホで画像を表示するように指示しています。」

大変有り難い心遣いなのですが、「自分のスマホ」はセキュリティ対策上、問題はないのでしょうか。大人気がないので、そこまでは申し上げませんでしたが、この会社のウリのひとつは、「セキュリティを維持したリモートワークの実現をzoomで支援します」というものでした。

足下を見据えることが変革の始まり

ECRSという言葉があります。これは、業務改善を行う上での順序を示したものです。Eliminate(排除)、Combine(結合)、Rearrange(交換)、Simplify(簡素化)の英語の頭文字からとられたもので、ECRSを適用すれば、改善の効果が大きく、過剰や過小な改善も避けられ、さらに不要なトラブルも最小になることが知られています。

かつて、このやり方がベストだということで、作られた業務プロセスも時代の流れとともに意味を失ったものもあるはずです。あるいは、テクノロジーの進化とともにもっといい方法があるにもかかわらず、習慣化したプロセスをそのままに、DXだ、AIだと大騒ぎするのはいかがなものかと思うのです。

慣れ親しんだ昔の常識を前提にするのではなく、いまの常識を前提にECRSを継続的に実践する。DXの実現に取り組むというのは、このような基本的な取り組みを土台にしなければ、成果をあげることは難しいでしょう。もちろん、ECRS=DXではありませんが、まずは土台がガタガタでは、変革などできるはずはないわけで、まずはしっかりと足下を見ることから始めるべきではと思います。

変革は「動的平衡」の大転換

皆さんは、分子生物学者の福岡伸一氏の提唱する「動的平衡」という概念をご存知でしょうか。動的平衡とは、絶え間ない流れの中で一種のバランスが取れた状態のことです。生命はタンパク質や脂質、炭水化物などで造られていますが、それら分子はそこにずっととどまっているのでもなければ、固定されたものでもありません。間断なく分解と合成を繰り返しています。実体としての物質はそこにはなく、一年前の自分と今日の自分は分子的にいうと全くの別物であり、いまもまた入れ替わり続けているというのです。

そんな「動的平衡」をうまく説明している動画を見つけましたので、よろしければご覧下さい。

なぜそんな自転車操業のような営みを繰り返さねばならないのでしょうか。それは、「エントロピーの増大」という万物不変の原理原則から逃れられないからです。私たちの生命は、様々な環境からの刺激や活動により破壊され続けています。そして、原子や分子といった生命を構成する根源的な物質がバラバラに存在する無秩序な状態へと変わり続けています。この原理原則に逆らうことはできないので、この破壊の先回りをして、自らを絶え間なく壊し、新しく作り変えることを繰り返すことで、生命を維持しているわけです。

これを企業になぞらえて考えてみることができそうです。社会環境やテクノロジーの変化や発展は、既存の企業のあり方を破壊する要因となっています。以前はこのやり方で成功できていても、直ぐに時代遅れとなり、製品やサービスの魅力もなくなってしまいます。かつての輝きは色あせ、自社の競争力の源泉がなくなってしまいます。いろいろと手を出してはみても、常に過去の延長で線上であり、ますます自分たちの存在意義は一散してしまいます。このような現実から逃れることはできません。だから、自分たちで自分たちを壊し、新しく作り変えること、つまり、「動的平衡」を維持しなければなりません。これが日常であリ、意識さえしない企業体質、つまり、文化や風土がなければ、企業の成長も存続もありません。

ツールでDXという安易な風潮

DXや変革という言葉には、「新しいことを始める」という含意があります。しかも、突発的で、一時的で、緊急避難的な響きも感じます。確かに、それほどいまの時代の変化は急激であり、予測不可能であり、DXや変革を頑張って叫んで、意識して、行動しなければならないのかも知れません。ただ、このような変革の必要性は、いまに始まったことではなく、企業のかかえる宿業(しゅくごう)のようなもので、常にやり続けなければなりません。

デジタルの急速な発展により、デジタル前提の社会に変わってしまいました。これは、デジタル前提の社会よりも遥かに長く続いた続いたアナログ前提の社会とは、ビジネスを営む上での原理原則がまるで変わってしまいます。そのためには、慣れ親しんだアナログ前提の社会で築かれたやり方を積極的に壊し、これまでとは大きく異なるデジタル前提のやり方に作り変えなくてはなりません。だからこそ、あえて「DX」と騒ぎ立て、いままでにも増して、沢山を壊し、沢山を生みだそうと、鼓舞しているのかも知れません。しかし、現実には、そうはなっていないようです。

世間では、ツールを導入すれば、DXや変革が進むという、安易な風潮が少なからず見受けられます。しかし、ツールを導入し、変革を進めるのなら、そのツールの対象となる既存の業務プロセスを壊し、いまの時代に即した業務プロセスに作り変え、そこにツールを適応することが前提となるでしょう。

古い時代の原理原則をそのままに、ツールだけを新しくしても変革などできません。それよりも何よりも、業務プロセスを変革すれば、ツールなど導入しなくても、変革が進むかも知れません。

ツールを導入することではなく、変革することが大切です。変革ができてこそ、企業は、動的平衡を維持して、存続し続けることができるのです。

SI事業者やITベンダーは自らの役割を再定義すべき

SI事業者やITベンダーにとっては、新しいツールを売り込むことが商売の大切なネタであることは言うまでもないことです。しかし、その前提は「いまの業務プロセスの効率化のため」であることがほとんどです。確かに、このようなニーズはあるわけで、お客様のニーズに的確にお応えできてこそのビジネスですから、これが悪いわけではありません。

しかし、ビジネスのチャンスを増やしたければ、このやり方だけでは、もはや勢いは得られません。既存の破壊を積極的に提案し、それにふさわしい、新たなツールやシステム構築の提案をしてはどうでしょうか。つまり、お客様の「動的平衡」を活性化し、変革のお手伝いをするということです。

これは、ビジネスとして手離れが悪く、手間がかかり効率の悪い仕事です。当然、あまりやりたくない仕事でもあります。それ以前に、お客様のあるべき姿や社会とかテクノロジーの変革も見据えて、何を壊すか、どのように変えるかに踏み込まなければならず、高い見識が必要となります。これは簡単にできることではありません。

しかし、クラウドの普及によりサービスはセルフサービスに移行し、内製化も拡大する中、これまで同様のツールを売る、工数を売るビジネスは、衰退の一途を歩んでいます。ならば、自分たちの役割を再定義し、ビジネスを作り変えるしかありません。つまり、自分たち自身の「動的平衡」を維持することが必要と言うことになります。

このような話は、いまさら感もあり目新しくはないと言う方も大いに違いありません。しかし、現実を見れば、本記事冒頭の「残念な思い出」で述べたような企業がまだまだ多いのです。まず、そんなところから手を付けてはどうでしょう。そんな自らの体験を通じて、自分たちの非常識を実感できれば、同様のお客様に寄り添うことができる気がします。

そういう既存の破壊を実践し、新しい状態に作り変えていくことこそが、競争力の源泉となるのでしょう。そんな自らの実践を模範にして、そのノウハウをお客様に提供することができれば、「自らの役割を再定義」することもできるはずです。

最近は、猫も杓子もDXを使うので、世間も飽きてしまい、あまりDXという言葉を使いたくないというSI事業者やITベンダーも増えてきたように思います。しかし、DXの本質的な価値や役割が失われた訳ではありません。こんな時期だからこそ、改めて自分たちのやっていることを見直し、自分たちの「動的平衡」が損なわれてはいないかを問い直してみてはどうでしょう。

神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO

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2022年10月3日紙版発売
2022年9月30日電子版発売
斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1

目次

  • 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
  • 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
  • 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
  • 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
  • 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
  • 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
  • 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
  • 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
  • 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
  • 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー

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