先日、AI時代の「準備(レディネス)」について深く考えるきっかけとなる、Gartner社の2025年10月20日付のレポートを読みました。この記事には、次のようなことが書かれていました。
Gartner社は、2030年までにすべてのIT業務がAIに関与するようになると予測しています。2025年7月のCIO調査によれば、2030年のIT業務は「AIなしの人間」が0%、「AIに支援される人間」が75%、「AIのみ」が25%になると見られています。
この変革を乗り切るため、組織は「AIレディネス」と「ヒューマンレディネス」の2つの準備のバランスを取る必要があります。
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- 「AIレディネス」とは、AIが特定のユースケースで価値を「見つける」ことができるかという、技術的な準備度を指します。
- 「ヒューマンレディネス」とは、組織がそのAIの価値を「捉え」、さらに「持続」させるための、適切な労働力と組織体制を持っているかという、人間側の準備度を指します。
Gartnerのアナリスト、アリシア・マレリー氏は「AIが価値を提供する準備ができていないケースもあるが、それ以上に人間がその価値を捉える準備ができていない」と指摘しています。
人間側の準備(ヒューマンレディネス)
AIは「雇用の喪失」ではなく「労働力の変革」であるとGartnerは位置づけており、2036年までにAI関連で5億人以上の純新規雇用が生まれると予測しています。CIOは単純作業の採用を抑制し、人材を新たな収益分野に再配置すべきです。
AIによって要約や翻訳などのスキルの重要性は低下しますが、代わりに「人間自身をより良い思想家、コミュニケーターにする」ための新しいスキルが求められます。また、AIへの過度な依存による「スキルの萎縮」にも警鐘を鳴らしています。
AI側の準備(AIレディネス)
AIレディネスは「コスト」「技術」「ベンダー」の観点で評価されます。コスト面では、2025年5月の調査でCIOの72%がAI投資で「トントンか赤字」と回答しており、隠れたコストの考慮が必要です。技術面では、検索やコンテンツ生成は準備が整っていますが、AIの「正確性」や「AIエージェント」はまだ発展途上であると指摘されています。
「地図」のメタファーで読み解く2つのレディネス
この2つの違いを、「地図」のメタファーで捉え直すと、非常にしっくりきます。
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- 「AIレディネス」とは、AIをいかにうまく使うかという「改善」の視点。これは、いわば「古い地図」の中でAIを使って最速でゴールを目指す技術であり、Gartnerの言う「AIに価値を見つけさせる」能力です。
- 「ヒューマンレディネス」とは、AIの登場によって私たち人間がどう変わるべきかを考える「変革」の視点。AIによって地図そのものが書き換わる時代に、「新しい地図」を描き直す視点であり、Gartnerの言う「人間が価値を捉え、持続させる」能力です。
ChatGPTをはじめとする生成AIの登場で、私たちはついAIの効率化(AIレディネス)ばかりに目を奪われがちですが、Gartnerが指摘するように、本当に重要なのは後者、つまり「ヒューマンレディネス」を高めることです。
なぜ「新しい地図」を描く視点が必要なのか
AIによって社会やビジネスの常識が変わり、世の中の「地図」そのものが新しいものに置き換わろうとしています。
もし私たちが「AIレディネス」だけにとらわれていると、現状を肯定したまま、つまり「古い地図」を頼りに、定められたゴールにいかに最短・短時間で到達するかという「改善」の思考にとどまってしまいます。
しかし、地図そのものが書き換わってしまえば、古い地図の上でのゴールは意味をなさなくなるかもしれません。
だからこそ、AIによって常識が変わることを前提に、私たち自身で「新しい地図」を描き、「新しいゴール」を定め直すという「変革」の視点が必要になります。そして、この新しい地図を描き、新しいゴールを定め直すための能力こそが「ヒューマンレディネス」なのです。
この「ヒューマンレディネス」を高めるために、まず「組織」が何をすべきか、そして「個人」はどうすべきか、という順で考えてみたいと思います。
組織に求められる「ヒューマンレディネス」:労働力の変革
Gartnerのレポートが示すように、組織にとっての「ヒューマンレディネス」とは、AIがもたらす価値を「捉え、持続させる」ための「労働力の変革」です。
AIは人間の仕事を奪うのではなく、仕事の内容を根本から変えます。要約や翻訳といったタスクはAIが担い、人間には「より良い思想家、コミュニケーター」であることが求められます。
これに対し、組織が取り組むべきことは明確です。
- 人材の再配置: 単純作業の採用を抑制し、既存の人材をAIを使いこなす新しい収益分野へと再配置すること。
- 新スキルの定義と育成: AI時代に求められる「思想家」「コミュニケーター」とは具体的にどういうスキルなのかを定義し、従業員がそれを学べる環境を整備すること。
- 「スキルの萎縮」への対策: レポートが警告するように、AIへの過度な依存は人間のコアスキルを衰えさせます。組織はAIの利便性を享受しつつも、従業員が重要なスキルを維持・向上できているかを定期的に確認し、対策を講じる必要があります。
つまり、組織に求められるヒューマンレディネスとは、AIの導入という「技術的変革」と並行して、「人間がどう変わるか」という「組織的・文化的変革」の環境を整備することです。
個人に求められる「ヒューマンレディネス」:「実践知」を磨く
では、組織がそうした環境を整備する一方で、私たち「個人」に求められるヒューマンレディネスとは何でしょうか。
それは、組織から与えられるのを待つのではなく、自ら「新しい地図」を描くために、AIにはない人間ならではの「実践知(生きた知性)」を磨くことです。
AIは膨大なデータから素晴らしい「答え」を導き出します。しかし、AIの答えは、それだけではデータの世界に閉じた「仮想」の答えであり、「机上の空論」になってしまう危険性をはらんでいます。
最近話題の「コーヒーテスト」という言葉をご存知でしょうか。これは、「知らないオフィスに入り、コーヒーメーカーを見つけ、コーヒーを淹れて持ってくる」といった、人間には簡単でもAI(を搭載したロボット)には非常に難しいタスクを指します。
AIは「コーヒーメーカーの使い方」をデータとして知っていても、「オフィスの間取りからキッチンのありそうな場所を推測し」「マシンやカップを見つけ」「豆や水があるか確認し」「障害物を避けながら戻ってくる」といった、現実世界での複雑な状況判断と行動ができません。
これこそが、AIにはない、私たち人間が日常生活や体験で培ってきた「実践知」です。それは、身体感覚、五感、暗黙知、文脈の理解、感情の読み取りといった、現実世界との関わりの中でしか得られない「生きた知性」の総称です。
私たちが描くべき「新しい地図」が、単なる机上の空論ではなく、現実の社会や日常をより良いものにするためには、この「実践知」が絶対に不可欠です。
個人のヒューマンレディネスとは、まさにこのAIにはない「実践知」を磨き、AIと協働して「新しい地図」を創造し、現実の社会に賢明に実装していく能力そのものを指すのです。
ヒューマンレディネス(=実践知)を磨く3つの方法
では、AIがアクセスできない「実践知」は、どうすれば磨くことができるのでしょうか。そのヒントは、AIにはできない、私たち人間にしかできない「生きた現実」との関わりにあります。
1. 沢山の本を読む(論理的な知性を磨く)
AIが「答えを出す」道具であるなら、私たち人間には「問いを立てる」能力が求められます。良質な本を沢山読むことは、AIに的確な「問い」を立てるための土台となる論理的思考力や、幅広い教養を身につけさせてくれます。
また、AIが生成した答えを鵜呑みにせず、その内容が本当に正しいか、適切かを判断する「批判的な視点」も、読書を通じて養われます。これは、AIの答えを「実践」に落とし込むための土台となります。
2. 沢山の人と話す(共感的な知性を磨く)
AIとの対話は「テキスト(情報)」の交換ですが、人間同士の対話は「感情の交流」を伴います。人と話すとき、私たちは言葉以外の膨大な情報(声のトーン、表情、視線、間の取り方)から、AIが理解できない「感情」や「文脈」を読み取っています。
この「情動的なキャッチボール」を通じて培われる「共感の知性」こそ、他者と協調して「新しい地図」を社会に実装していく「実践」の核となります。
3. 沢山の旅(体験)をする(身体的な知性を磨く)
AIの学習が「データ(仮想)」の世界で完結するのに対し、人間の学習は「身体(現実)」を通じて行われます。旅や新しい体験は、まさにこの「身体知」を強制的にアップデートします。
異国のスパイスの「匂い」、石畳の「感触」、予測不可能な「偶然の出会い(セレンディピティ)」。こうした五感と身体をフル稼働させ、「曖昧な状況で、なんとかする力」を養うことこそ、マニュアルのない現実世界で価値を生み出す「実践」そのものです。
組織と個人、双方の「ヒューマンレディネス」が未来を描く
Gartnerのレポートが示すように、AIの価値を真に引き出す鍵は、「AIレディネス(技術の準備)」以上に「ヒューマンレディネス(人間の準備)」にあります。
「組織」は、AI時代に即した労働力変革の環境を整備する責任があります。
そして「個人」は、その環境に甘んじることなく、AIにはない「実践知」(論理・共感・身体知)を自ら磨き続けなくてはなりません。それは、現実世界での判断や行動に責任を持つのは人間だからです。膨大な情報を材料に、AIがどれほど見事な答えを出したとしても、その時々の状況で、判断を下し、行動するのは人間です。なぜ、このように判断し、行動したかと問われたとき、「私はAIの答えに従っただけです」という答えが許されることはありません。だからこそ、人間には、「実践知」に基づく、思慮と判断、そして行動が求められるのです。
結局のところ、私たちが今持つべき最も重要な問いは「AIをどう使うか」という改善の問いではなく、「AIによって、私たちはどう変わるか」という変革の問いです。この「どう変わるか」という視点に立つことこそが、ヒューマンレディネスの核心ではないでしょうか。
「組織」と「個人」、その両輪がこの「変革」の視点を持ってヒューマンレディネスを高める努力を重ねて初めて、私たちはAIと共に「新しい地図」を描き、それを机上の空論ではない、より良い現実の未来へと変えていくことができるのです。
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