定年という節目に考える「何かを残す」ということ
一つの役割を終える寂しさと、これからの自由な時間への期待が入り混じる、人生の大きな節目である『定年』。長年勤め上げた会社を離れるにあたり、様々な思いが胸に去来する方も多いのではないでしょうか。
先日、定年を間近に控えた友人が、こう語ってくれました。 「若い人たちのために、何かを残していきたいんだ。最近、そんなことをよく考えているよ。」
その志は、非常に尊いものだと思います。次世代を思い、自らの経験を役立てようとする気持ちは、誰しもが持つ自然な感情なのかもしれません。
もちろん、その志を否定するつもりは全くありません。ただ、その言葉を聞いて、私は少し違う角度からこのテーマを考えてみました。
桃李もの言わざるども、下自ら蹊を成す
中国の歴史家、司馬遷の言葉に「桃李もの言わざるども、下自ら蹊を成す(桃李不言 下自成蹊/とうりものいわざれども、したおのずからこみちをなす)」というものがあります。桃や李(すもも)は、何も言わなくても美しい花と美味しい実の魅力に惹かれて人々が集まり、その下には自然と道ができる、という意味です。徳のある人のもとには、その人を慕って自然と人が集まることのたとえとして使われます。
これを私たちの人生に置き換えてみると、どうでしょうか。
「何かを残す」というのは、定年というゴールテープが見えてから、急いで準備するものではないのかもしれません。むしろ、これまでの仕事人生で、ひた向きに歩んできたその「道」そのものが、すでに誰かの心に残る「何か」になっているのではないでしょうか。
大きな成果や輝かしい実績だけが、残せるもののすべてではありません。困難な仕事に粘り強く取り組む姿勢、後輩の相談に親身に耳を傾ける優しさ、あるいは、朝一番に交わす「おはよう」という元気な挨拶。そんな日々の真摯な生き様こそが、知らず知らずのうちに、後輩たちの記憶に深く刻まれているはずです。
「あの人のようになりたい」「あんな風に仕事を楽しめる大人になりたい」。そう思ってもらえること自体が、何物にも代えがたい、かけがえのない『何か』なのです。そして何より、そうした姿勢は定年を意識するずっと前から、ごく当たり前の日常として過ごしてきたからこそ、本物の輝きを放つのです。
時代の変化と「お節介」の境界線
もちろん、ご自身の貴重な経験を文章にまとめたり、セミナーのような形で後輩に直接伝えたりすることも、大変意義のあることです。その知識や知恵が、誰かの助けになることは間違いないでしょう。
しかし、ここで少しだけ心に留めておきたいのは、私たちが生きてきた時代と、これからの若者たちがいく時代とでは、社会の状況も価値観も大きく異なるという事実です。かつての成功体験が、必ずしも未来に通用するとは限りません。
例えば、私が若い頃はバブルの絶頂期。「24時間闘えますか?」という言葉が流行し、身を粉にして働くことに誇りを感じるような時代でした。その経験が、私の人生の土台となったことは事実です。しかし、それは誰もが猛烈に働くことを当然と受け入れていた時代だからこそ、自分もその価値観を当然のこととして請けとめ、人生の財産にできたのでしょう。今もし同じような働き方をすれば、それは「ブラック企業」の典型と見なされてしまうはずです。
このように、時代とともに価値観は大きく変わるのです。良かれと思って伝えたアドバイスが、時には「お節介」と受け取られてしまう可能性もゼロではありません。「お節介」程度であれば、相手も苦笑いで済ませてくれるかもしれません。しかし、自分の生きた証を残したいという気持ちが強すぎるあまり、そのアドバイスがあたかも絶対の真理であるかのごとく主張する姿に映れば、それは「老害」として煙たがられ、若者たちから排除されてしまうことにもなりかねません。一方的な価値観の押し付けになってしまっては、少し寂しいですよね。
最高の贈り物は、あなたの「生き方」そのもの
では、私たちは一体、何を残せば良いのでしょうか。時代を超えて変わらない、本当に価値のあるものとは何でしょうか。
古代中国の思想家、荘子の言葉にヒントがあるかもしれません。ある大木が、木材としては役に立たない「無用の木」とされていました。しかし、役に立たないからこそ、誰にも伐採されることなく天寿を全うし、多くの人々がその木陰で憩うことができた、という話です。この話が教えてくれるのは、世間的な物差しで測られる「有用性」だけが価値の全てではない、ということです。一見、何の役にも立たないように見える存在でも、その存在自体に意味があり、独自の役割を果たしているのです。
この考え方は、私たちの人生にも通じるのではないでしょうか。後世に残すべき普遍的な価値とは、何かを成し遂げることや、誰かの役に立つことだけが人生の価値ではない、というメッセージそのものです。 ただ、あるがままにそこに在るだけで、その人自身の穏やかな生き様が、誰かにとっての心地よい木陰のような安らぎとなり得る。 それこそが、時代を超えて伝わる、本当の豊かさなのかもしれません。
ですから、「若い人たちのために、何かを残したい」というその素晴らしい気持ちは、何か特別なものを「遺す」ことで実現するとは限りません。言葉で語ったり、意図して示したりするのではなく、日々の生き様が、周りの人の心に自然と染み込み、記憶として残り続ける。自らがどう「生きる」か、その姿を見せることこそが、結果として最も価値のあるものを「残す」ことになるのではないでしょうか。
定年とは、あくまで人生という長い道のりの一つの通過点に過ぎません。だからこそ、その日を迎えてわざわざ感慨に浸る必要などないのです。「自分はこの会社で、やれるだけのことはやったな」と、昨日と同じように、そして明日につながるように、静かに心から思えること。その日常の延長線上にある、清々しい満足感と誇りに満ちた輝く顔。それこそが、あなたが残せる最高の「何か」ではないでしょうか。
もちろん、全てにおいて満足できる人生を送れた、などという人はいないでしょう。振り返れば、若気の至りもあれば、知識や経験がなくて好機を掴めなかったこともあるはずです。しかし、それらも全て、あなただけが歩んできた、かけがえのない人生の軌跡なのです。いまさらそれを変えることはできません。
だからと言って、「自分には何も残せるものがない」と考えるのは早計です。むしろ、今だからこそ、そうした光も影も全て含めて冷静に自分を振り返ることができる。そのことが、「これからをより充実させられる」という、静かで確かな自信につながるのではないでしょうか。そんな自信に支えられ、これからの人生を朗らかに楽しもうとするその後ろ姿もまた、あなたが残せる、もう一つの素晴らしい「何か」なのです。
そして、さらに大切なのは、ここから始まるあなたの新たな生き方です。「定年」は終わりではなく、人生100年時代における新たなスタートラインに立ったに過ぎません。「何かを残す」という重圧から自らを解き放ち、これからの人生に新たな目標を掲げてみてはいかがでしょうか。
後漢の武将、馬援の言葉に「老当益壮(ろうとうえきそう)」というものがあります。これは「年老いても、ますます盛んでなければならない」という意味です。彼は、年を取っても志は衰えず、むしろ若い頃よりも意気盛んであるべきだと語りました。
この言葉は、定年後の人生を考える私たちに、大きな勇気を与えてくれます。過去を振り返り、静かな満足感に浸るだけでなく、未来に向かって新たな一歩を踏み出す。これから何を学び、誰と出会い、どんなことに挑戦していくのか。その意欲に満ちた生き生きとした後ろ姿こそが、「人生はいつからでも始められる」という、何よりも力強いメッセージを若者たちに伝えてくれます。
過去の自分を受け入れた上での、静かな自信。そして、未来へ向かう、衰えぬ探求心。その両方を胸に、朗らかに歩み続けるあなたの姿こそが、未来を担う世代へ贈ることができる、最も尊い贈り物となるに違いありません。
【募集開始】次期・ITソリューション塾・第50期
次期・ITソリューション塾・第50期(2025年10月8日[水]開講)の募集を始めました。
2008年に開講したITソリューション塾は、18年目を迎えました。その間、4000名を超える皆さんがこの塾で学び、学んだことを活かして、いまや第一線で活躍されています。
次期は、50期の節目でもあり、内容を大幅に見直し、皆さんのビジネスやキャリアを見通すための確かな材料を提供したいと思っています。
次のような皆さんには、お役に立つはずです。
・SI事業者/ITベンダー企業にお勤めの皆さん
・ユーザー企業でIT活用やデジタル戦略に関わる皆さん
・デジタルを武器に事業の改革や新規開発に取り組もうとされている皆さん
・IT業界以外から、SI事業者/ITベンダー企業に転職された皆さん
・デジタル人材/DX人材の育成に関わられる皆さん
詳しくはこちらをご覧下さい。
※神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO(やまと)会員の皆さんは、参加費が無料となります。申し込みに際しましては、その旨、通信欄にご記入ください。
期間:2025年10月8日(水)~最終回12月17日(水) 全10回+特別補講
時間:毎週 水曜日18:30~20:30の2時間
方法:オンライン(Zoom)
費用:90,000円(税込み 99,000円)
内容:
- デジタルがもたらす社会の変化とDXの本質
- ITの前提となるクラウド・ネイティブ
- ビジネス基盤となったIoT
- 既存の常識の書き換え前提を再定義するAI
- コンピューティングの常識を転換する量子コンピュータ
- 変化に俊敏に対処するための開発と運用
- 【特別講師】クラウド/DevOpsの実践
- 【特別講師】アジャイルの実践とアジャイルワーク
- 【特別講師】経営のためのセキュリティの基礎と本質
- 総括・これからのITビジネス戦略
- 【特別講師】特別補講 (選人中)
*「すぐに参加を確定できないが、参加の意向はある」という方は、まずはメールでご一報ください。事前に参加枠を確保します。決定致しましたらお知らせください。
8月8日!新著・「システムインテグレーション革命」出版!
AI前提の世の中になろうとしている今、SIビジネスもまたAI前提に舵を切らなくてはなりません。しかし、どこに向かって、どのように舵を切ればいいのでしょうか。
本書は、「システムインテグレーション崩壊」、「システムインテグレーション再生の戦略」に続く第三弾としてとして。AIの大波を乗り越えるシナリオを描いています。是非、手に取ってご覧下さい。
【図解】これ1枚でわかる最新ITトレンド・改訂第5版
生成AIを使えば、業務の効率爆上がり?
このソフトウェアを導入すれば、DXができる?
・・・そんな都合のいい「魔法の杖」はありません。
神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO
8MATOのご紹介は、こちらをご覧下さい。