知識は借りられる、実践知は借りられない
私は、AIにはかなり貢いでいます。主要なサービスはいずれも最上位のプランを契約し、用途に応じて使い分け、組み合わせて使っています。
そんな私は、しばしば次のようなことを尋ねられます。
「AIでは、こういうことは無理ですよね」
「こういうことには、どのAIサービスがいいのでしょうか」
「AIを使うと、考えなくなりませんか」
問いはそれぞれに違います。しかし、尋ねてくる人たちには、ひとつの共通点があります。たいして使っていない、という事実です。
第一の問いについて言えば、何ができて何ができないかは、使ってみれば分かります。しかも、その境界は日々動いています。他人から得た答えは、昨日の境界線にすぎません。
第二の問いについては、できることは総じてどれも似ています。違いを生むのは、どのような指示(プロンプト)を与えるかです。各サービスの個性は、使い込んではじめて見えてくるものであって、人に聞いて分かるようなものではありません。
第三の問いは、使い方次第です。本稿で考えたいのは、この点です。
いずれにしても、使えば分かります。それをせずに他人に尋ね、「使わない理由」を探しているのだとすれば、もったいないことだと思います。
「頭だけで答えを出す」ことの愚かさ
まず、「頭だけで答えを出す」ことの愚かさに、私たちは気付くべきだと思います。
変化が速く、不確実性の高まる世の中に、あらかじめ用意された正解はありません。過去の経験や知識の蓄積の中に答えを見つけようとしても、限界があります。蓄積とは、過ぎ去った条件のもとで正しかったことの集積であって、いまこの状況で正しいことの保証ではないからです。
だから、使ってみて、体験してみて、その結果から考えて、自分の正解を創り出すしかありません。答えは、探し出すものではなく、創り出すものです。
考えるな、と言っているのではありません。考えることは、出発点として不可欠です。ただ、考えても分からないときに、なお考え続けて動かないのは、思考ではなく足踏みです。分からなければ、行動し、実践し、確かめる。そこではじめて、考えるための材料が手に入ります。
実践知こそが、境界線です
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』(第六巻)で、知を三つに分けました。普遍的な真理を扱う知(エピステーメー)、ものを作る技術としての知(テクネー)、そして個別の状況において何が最善かを判断する知(フロネシス=実践知)です。
AIが極めていくのは、前の二つです。文字にでき、移転でき、普遍化できる知識の領域です。ここで人間が張り合う意味は、もはやありません。
一方、フロネシスは違います。アリストテレスは、若者が数学に秀でることはあっても、実践知を備えた若者は見当たらない、なぜなら実践知は個別の経験からしか得られないからだ、と述べています。「いま、ここ」の固有の状況に身を置き、揺れる条件のなかで何が善いかを判断し、選び、その結果を引き受ける。実践知は、その繰り返しによってしか育ちません。書物から学べるのは実践知についての知識であって、実践知そのものではありません。自転車の乗り方を記した文章をいくら読んでも、乗れるようにはならないのと同じことです。マイケル・ポランニーが「私たちは、語れることよりも多くのことを知っている」と言い当てた、暗黙知の領域です。
野中郁次郎氏は、竹内弘高氏との共著論文 “The Wise Leader”(Harvard Business Review, 2011年/ワイズカンパニー: 知識創造から知識実践への新しいモデル,2020年)で、この実践知を備えた経営者を「賢慮のリーダー(ワイズリーダー)」と呼びました。文脈を読み、その都度の最善を判断し、責任を引き受ける人です。それは知識の量ではなく、実践の量によって鍛えられます。
つまり、蓄積された知識・普遍化された知識に土台を置くAIと、実践や体験によってしか身につかない人間の知性とを分ける境界線は、この実践知の上に走っているのです。
そして皮肉なことに、この実践知は、AIを使いこなすためにこそ、ますます必要になります。どこまで任せ、どこから自分で引き受けるか。出てきた答えを信じるか、疑うか。その判断は、使い込んだ手触りからしか生まれません。使わない人は、AIを評価する資格すら手にできないのです。
答えを他人に委ねるということ
人に答えを求めて危険を避けようとすることは、自らの自由意志で思考し、行動するという人間の特権、すなわち人間であることの尊厳を手放し、他人に答えを委ねるということです。
カントは、1784年の小論「啓蒙とは何か」で、人が自ら招いた未成年状態から抜け出せないのは、理性が足りないからではなく、他人の導きなしに自分の理性を使う決意と勇気が足りないからだと書きました。だから「あえて賢くあれ(Sapere aude)」と。カントは続けて、こうも書いています。私に代わって理解してくれる書物があり、良心を担ってくれる牧師があり、食事を判断してくれる医者がいるなら、自分で苦労する必要はない、と。この「代わりに考えてくれる他人」の列に、いま、AIが加わりました。二百四十年前の言葉が、いまなお刺さります。
他人に答えを委ねる習慣を身につけた人は、やがて他人の言いなりになり、他人に支配されます。それはすなわち、AIの言いなりになり、AIに支配されるということです。
AIに支配される未来は、AIが強くなることによって訪れるのではありません。人間が、自分で判断し引き受けることを面倒だと感じ、その特権を自ら手放すことによって訪れます。使わない人が支配を免れるわけでもありません。使わない人は、使う人が作った世界の中で、与えられた答えに従って生きることになるだけです。
「引き受ける」とは、責任をとることです
ここで言う「自分で引き受ける」とは、突き詰めれば「責任をとる」ということです。この一点を、曖昧にしたくありません。
私たちは、人間の世界に生きています。会社であれ、家族であれ、地域であれ、取引先との関係であれ、そこには他者がいて、その他者に自分の判断の結果が及びます。だから、判断には責任が伴うのです。
そして、AIがどれほど賢くなっても、結果に対して責任を負うのは、常に人間です。
AIは、謝罪できません。信頼を失うこともありません。取引先の前で頭を下げることも、部下の人生を背負うことも、失敗を教訓として抱え続けることもできません。責任とは、痛みを引き受ける主体があってはじめて成立するものだからです。責任を負えない存在に、責任を負わせることはできません。
つまり、AIの出した答えを採用すると決めた瞬間に、その答えはもうAIの答えではなく、自分の答えになります。「AIがそう言ったので」は、人間の世界では通用しません。それは責任の所在をずらそうとする言葉であって、責任を分け合う言葉ではないのです。
そう考えれば、AIをどこまで使うかという問いは、技術の問いではなく、覚悟の問いだと分かります。任せられるのは作業であって、責任ではありません。任せた部分についても、最後に引き受けるのは自分です。
これは、AIを警戒すべき理由ではありません。むしろ、使い込むべき理由です。責任を負う立場にある人間が、判断の材料をできるだけ多く、できるだけ深く手に入れておくことは、責任の果たし方そのものだからです。
「AI係」になってはいないか
ここで、自らに問うてみてほしいことがあります。誰かから与えられた仕事をAIに入力し、出てきたアウトプットをそのまま渡す。そこに自分の考えも判断も加えない。そんな「AI係」になってはいないか、ということです。
確かに、仕事は捗ります。楽もできます。しかし、経営の目で見れば、答えは明らかです。そのような人に高い給与を払う合理性は、どこにもありません。指示を右から左へ流すだけなら、あいだに人間を挟む必要がないからです。AIエージェントに直接任せれば、より速く、より安く、休みなく働いてくれます。
これは、AIを使わない人だけの話ではありません。毎日AIを使い込んでいたとしても、その使い方が「流す」だけであれば、結果は同じです。「AIに仕事を奪われる」という言葉は、こうして現実になります。AIが人間を押しのけるのではありません。判断を加えず、責任も引き受けない働き方を選んだ人間が、自らを取り替え可能な存在にしてしまうのです。
前節の言葉で言えば、「AI係」とは、作業だけを担い、責任を引き受けない働き方のことです。AIに向かって問いを立てるでもなく、返ってきた答えを検めるでもなく、その結果を引き受けるでもない。AIの前と後ろに立つべき人間の仕事を、すべて手放した姿です。給与とは、突き詰めれば、判断と責任への対価です。それを手放した人に、対価を払う理由は残りません。
ハルシネーションを恐れるということ
AIは、誤ったことを、いかにも正しそうに述べることがあります。いわゆるハルシネーションです。これを恐れて、使うことをためらう人がいます。
しかし、これなどは、あわよくば自らの思考や意志を使わずにAIに頼りたいという、浅はかな期待の表れではないでしょうか。「間違えないのなら、丸ごと任せられるのに」という前提が、そこには隠れています。裏を返せば、間違えないのなら考えなくてよい、と言っているのと同じです。
考えてみてください。人間の社会にも、ハルシネーションはあります。
信頼している上司や先輩が、正しいと信じて誤ったことを教えてくれることがあります。親兄弟が、善意から、時代の変わった常識を授けてくれることもあります。業界の権威が語る「常識」が、すでに実態と合っていないことも珍しくありません。悪意はどこにもありません。それでも、誤りは誤りです。
私たちは、それをどう扱ってきたでしょうか。話を聞き、参考にし、腑に落ちないところは自分で確かめ、最後は自分の責任で判断してきたはずです。相手を信頼することと、判断を丸ごと委ねることとは、別のことだからです。
これは、AI以前から私たちが引き受けてきたことです。AIになって、突然、新しい難題が現れたのではありません。ハルシネーションを理由にAIを避ける人は、人間相手にも同じ危険にさらされていることに、気づいていないだけなのです。
しかもAIには、人間相手にはやりにくいことができます。何度でも問い直せます。根拠を尋ねられます。出典を示させ、反対の立場から検証させることもできます。上司や先輩に、そこまで容赦なく食い下がれるでしょうか。誤りを見つけやすいという点では、むしろ扱いやすい相手です。
もちろん、その見極めには実践知が必要です。どのあたりで間が抜けやすいか、どういう問いに弱いか、どこまでなら信じてよいか。この勘所は、使い込んだ人にしか身につきません。ここでも、結論は同じです。使わなければ、恐れは減りません。
実践には、道具の投資が必要です
お金をかけたくても経済的に余裕がない、という人がいます。ならば、最上位のプランでなくてもかまいません。最も安い有償プランから始めてはいかがでしょうか。それさえも惜しいというのなら、話になりません。無償と有償とでは、できることが違います。無償版を試して「使えない」と結論するのは、試供品を触って製品を評価するようなものです。
私も、はじめから最上位のプランを使っていたわけではありません。使い続けるうちに、使った方が安上がりだと気づいたのです。
考えてみてください。優秀な部下や秘書を、月に数万円で雇えるでしょうか。AIは、それ以上の働きで自分の仕事を助けてくれます。これは、安い買い物です。
そして、この感覚もまた、使うから分かるのです。使わない人には、高いか安いかを判断する材料すらありません。
たばこや漫画、ゲームに払う金額を思えば、支払う額は似たようなものです。いずれも、人生を豊かにしてくれます。ならば、自分の知性を豊かにするものに払うことを、なぜためらうのでしょう。
使えば分かる
知識は、借りられます。実践知は、借りられません。
知識は、AIから、いくらでも、たちまちに借りられるようになりました。だからこそ、借りられないものの価値が上がったのです。それは、自ら使い、自ら失敗し、自ら判断し、その結果を引き受けた人の中にしか宿りません。借りた知識を右から左へ流すだけなら、そこに自分は要らないのです。
考えて分からなければ、行動する。行動して確かめ、そこから考える。その往復のなかで、自分の正解が形になっていきます。
そして、その正解の結果を引き受けるのは、いつでも自分です。だからこそ、それは「自分の」正解なのです。
いずれにしても、使えば分かります。
参考文献
- アリストテレス『ニコマコス倫理学』第六巻(エピステーメー/テクネー/フロネシスの区分、および実践知が経験によってのみ得られるとする議論)
- イマヌエル・カント「啓蒙とは何か」(1784年)
- Ikujiro Nonaka and Hirotaka Takeuchi, “The Wise Leader,” Harvard Business Review, May 2011(邦訳・関連書:野中郁次郎/竹内弘高『ワイズカンパニー』東洋経済新報社、2020年)
- マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』
ITプロフェッショナルとして働く喜びを知り、
残り、以下の2回のみとなりました。
▼ IT営業のプロセスと実践スキル
2026年8月20日(木) 9:30〜17:00
▼最新のITトレンド
2026年8月26日(水) 9:30〜17:00
今年で10年目を迎えますが、これまでの経験を土台に、
さらに、ITプロフェッショナルとしてどう役割を果たし、
お客様の言葉が理解できる。社内の議論についていける。
そんな「確かな自信」を、
>> 詳しくはこちら
新入社員のための1日研修 「最新のITトレンド」
新入社員のための1日研修 「IT営業のプロセスと実践スキル」
IT営業の役割や仕事の進め方を学び、磨くべきスキルを考えます。また、AIを武器に、先輩にも負けない営業力を磨く方法についても解説します。
『AI実践ドリル30日チャレンジ 仕事にすぐ効くAI活用』(日経BP)を紹介する連載が、日経クロステック(xTECH)に掲載されました。
第1回 ビジネスパーソンが生成AIの有償版を使うべきである理由
第2回 「事業変革推進室長」として生成AIで新規事業を企画する
第3回 AIの「魔法」をメール作成と悩みの「壁打ち」で体感
第4回 新規事業の「3段階の自立シナリオ」をAIで描く
第5回 AIにいきなり「斬新なアイデア」を求めるのは避けよ(2026.08.03公開予定)
本書は、これまでのAI本とは毛色が異なり、新規事業開発やマーケティングの実践ノウハウを、AIを使いながら体験的に学べる「ドリル」です。AIの使い方を解説するのではなく、実際のビジネスの現場でどう使いこなし、新しい価値を生み出せばいいのかを、手を動かしながら身につけていただけます。
「AIをどう使うか」に留まっている限り、AIの真価は引き出せません。「AIでどう変わるか」、すなわちAIを前提として、仕事のやり方をどう変えればいいのか。それをお伝えしたくて書いた本です。まだの方は、ぜひご一読ください。
どうぞよろしくお願いいたします。




One Response to その質問は、使っていない証拠です