センスは、才能ではありません。
「自分にはセンスがないから」と嘆く人がいます。しかし、その言葉は正確ではありません。センスがないのではなく、学んでいないだけなのです。なぜそう言い切れるのか。そして、AIが人間の誰よりも多くの知識を持つようになったいまだからこそ、なぜセンスの価値がかつてなく高まっているのか。ご一緒に考えてみたいと思います。
センスとは、ふさわしい状態を作れる能力である
- 「あの人の服装は、流行にこびないセンスのよさがある」
- 「あの人の選ぶ店は、いつも間違いない」
そんなセンスのいい人がいるものです。営業の現場でも同じです。「あの人の提案資料はセンスがいい」「あの人のトークは、お客様を惹き付けるセンスがある」。
一方で、一流ブランドを身につけていてもセンスを感じない人がいます。料理は美味しいのにセンスのない店があります。内容は申し分ないのに、センスのないプレゼンをする人がいます。つまり「センスがある」とは、「高級」や「有名」、「内容がいい」とは直接関係がないのです。
では、人はどんなときにセンスを感じるのでしょうか。「そうそう、こういう話が聞きたかった」「まさにこれですよ」「ぴったりですね」。そういう感情を抱いた瞬間ではないでしょうか。
センスとは、その時々の状況に、ふさわしい状態を作れる能力です。
提案資料のセンスは、中身が詰まっていることではなく、伝えたいことを的確に分かりやすく表現しているかで決まります。トークのセンスは、話の流暢さではなく、相手の興味や関心に寄り添っているかで決まります。プレゼンのセンスは、ビジュアルの美しさではなく、聴き手の反応に合わせて話の展開をコントロールし、共感を引き出せるかで決まります。
そして「ふさわしい状態」とは、絶対的な正解ではありません。まわりの環境や相手との関係の中で決まる、相対的な状態です。いまの自分は相手からどう見られているか。相手の立場を考えれば、きっとこんなことに苦労しているのではないか。
いまの説明に相手が首をかしげたのはなぜか。そう想像し、仮説を立て、打ち手をシミュレーションする。室町の能楽師・世阿弥は、これを「離見の見(りけんのけん)」と呼びました。舞っている自分を、観客の目で見よ、という教えです。六百年前の芸の道が説いたことは、そのまま営業の道に通じます。
つまり「ふさわしさ」とは、まわりへの気遣いであり、相手への思い遣りです。
言い換えれば、愛情です。
相手に嫌な思いをさせず、心地よく感じてもらう。さらに踏み込んで、相手を幸せにするにはどうすればいいかをとことん考え、物語を描き、実行する。その能力がセンスであり、それが高い人を、人は「センスがいい」と呼ぶのです。
センスの筋力は、知識の量である
では、どうすればセンスを磨けるのでしょうか。答えは、知識を増やすことです。クリエイティブディレクターの水野学氏は「センスとは知識の集積である」と喝破しました。私はこれを、営業の現場から実感をもって支持したいと思います。
例えば、「重い」か「軽い」かを判断するとき、10kgまでしか持ち上げられない人には、15kgも30kgも同じ「重い」であり、その違いを区別できません。50kgまで持ち上げられる人には、その差がはっきり分かります。知識とは、この筋力に相当します。
お客様から「コスト削減のためにクラウドへ移行したい」と相談されたとしましょう。「クラウドとは仮想マシンの集合体だ」という程度の知識しかなければ、「いまのオンプレをIaaSに移行しましょう」という一手しか打てません。しかし移行費用がかかるうえに運用は従来のままで、お客様の望むコスト削減は実現しません。一方、SaaSやクラウド・ネイティブについての深い知識があれば、SaaSへ移行するもの、サーバーレスで作り変えるもの、あえてオンプレに塩漬けするものを精査して選り分け、コスト削減と変更への俊敏性を同時に手に入れる提案ができます。浅い知識は一手しか与えませんが、深い知識は無数の選択肢を与えてくれます。その中から、目の前の相手にふさわしい一手を選び取れる。これが「センスのいい提案」の正体です。
これは精神論ではありません。認知科学の古典的なチェス研究は、熟達者が盤面を駒の羅列ではなく意味のある型として一瞬で知覚することを明らかにしました。研究を主導したノーベル賞経済学者ハーバート・サイモンは、「直観とは認識にほかならない」と言い切っています。センスのいい人の鮮やかな判断は、天から降ってきたひらめきではなく、蓄積された知識による瞬時のパターン認識なのです。
では、その知識力はどうすれば手に入るのでしょうか。公式は単純です。
学びの密度 × 時間
「学びの密度」とは、日常にどれだけ学びの機会を組み込めるかです。毎日、本を読む。研修や勉強会に参加する。得たインプットを、ブログや説明資料というアウトプットに転換する。この往復が密度を上げてくれます。「時間」とは、続けることです。要領よく知識力を身につけるスタディ・ハックなど、私は知りません。毎朝1時間を学びにあて、寝る前に本を読む。そんなルーチンを作り、継続する。これはハックではなく、王道です。
ふさわしさの底には、一本の筋が通っている
ここでひとつ、疑問が生まれるかもしれません。ふさわしさが相手や状況によって変わる相対的なものならば、センスのいい人とは、相手に合わせて姿を変える八方美人のことなのでしょうか。
そうではありません。むしろ逆です。センスのいい人には、ぶれることのない筋が一本、しっかりと通っています。美意識、思想や哲学、価値観と呼ぶべき、ぶれない考えの土台です。
服装に置き換えれば分かりやすいでしょう。例えば、リーバイスの王道である501。この製品が生まれた歴史的背景を知り、その物語に共鳴し、そういう生き方を自分も大切にしたいと考える人が身につけるからこそ、まわりはセンスを感じます。うわべの流行に引きずられるのではなく、物事の本質や原理原則、定番を心得ているからこそ、新しいものも自分の軸の上で活かせるのです。
営業も同じです。お客様に寄り添うことと、お客様に迎合することは違います。では、寄り添いと迎合を分ける軸とは、何でしょうか。それは、それぞれの職業人が持つプロフェッショナリティです。IT営業であれば、「ITの価値を最大限に活かして、お客様を幸せにする」。法律家であれば、法の力で依頼人の権利を守る。商社であれば、世界中から最適な組み合わせを見つけ出し、商いを通じて相手を富ませる。自分は、何の専門性をもって、誰を、どのように幸せにするのか。その答えこそが、その人の軸となります。
そして、どの職業の軸にも共通して流れているものがあります。自分の利益のためではなく、相手のために、さらにその先にある社会の善、すなわち共通善のために力を尽くそうという、利他の心です。この軸があるからこそ、ときには相手の要望に異を唱え、別の道を示すことができます。目先の売上のためにお客様の言いなりになるのは、寄り添いではなく、その場しのぎの追従であり、お客様はそれを敏感に見抜きます。ふさわしさとは、利他に貫かれたぶれない土台の上で、相手に合わせて表現を変えることなのです。
そして、この土台もまた、生まれつきのものではありません。歴史を知り、本質を学び、失敗を重ねる中で、「自分はこれを大切にしたい」という選り抜きが澱のように積もって、一本の筋になっていきます。美意識や価値観もまた、「学びの密度×時間」が育てるのです。
ならば、AIこそ最もセンスがあるのではないか
ここまでお読みになって、こんな疑問を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「センスが知識の量で決まるのなら、人間の誰よりも膨大な知識を持つAIこそ、最もセンスのある存在ではないのか」
もっともな問いです。そして、この問いこそが、センスの本質をあぶり出してくれます。
AIが持つのは、一般的・普遍的な知識、すなわち言葉やデータに置き換えられた形式知です。しかし思い出してください。センスとは知識そのものではなく、知識を「いま、目の前のこの相手」にとってのふさわしさに変換する能力でした。アリストテレスは、しかるべき時に、しかるべき相手に、しかるべき仕方で行為できる実践知を「フロネーシス」と呼びましたが、これは文脈の中に身を置き、結果に責任を負う当事者にしか働きません。
AIには「離見の見」がありません。相手の目に映る自分を想い描こうにも、その場に立つ身体がなく、見られている自分がないのです。目の前のお客様を幸せにしたいと願う意志の主体でもありません。
そして、もうひとつ決定的なことがあります。AIは、答えの選択肢を与えてくれます。しかし、その中からひとつを選ぶのは、人間です。ときには、AIの示すもっともらしい答えのすべてを拒絶し、別の道を探す決断を下すのも、人間です。その決断を支えるのは、何を美しいとし、何を大切にするかという、自らの内なる軸です。AIは膨大な知識を持ちますが、貫くべき自らの生き方を持ちません。その選択の結果を背負うのは、AIではなく人間です。提案が外れてお客様の信頼を失うのも、勇気ある一手が実ってお客様に感謝されるのも、その場に立った人間です。選ぶとは、責任を引き受けることです。そして責任は、人間にしか背負えません。ふさわしさの判断が最後まで人間の手に残るのは、能力の優劣の問題ではなく、この当事者としての立場の問題なのです。
知識はセンスの必要条件ですが、十分条件ではありません。AIの登場は、長らく混然一体だったこの二つを、初めてはっきりと分離して見せてくれたのです。
AIの時代だからこそ、学ばない者からセンスが消える
ならば、人間はもう知識を蓄えなくてよいのでしょうか。AIに知識を任せ、ふさわしさの判断だけしていればよいのでしょうか。
逆です。
AIは、50kgの筋肉を誰にでも貸してくれる時代を作りました。知識という選択肢の量では、もはや差がつきません。差がつくのは、AIが示す無数の選択肢の中から、目の前の相手にふさわしい一手を見抜き、選び、ときに拒絶する選球眼と、その判断を支えるぶれない軸だけになりました。そして皮肉なことに、その選球眼も、ぶれない軸も、自らの身体を通した「学びの密度×時間」によってしか養われません。自分で持ち上げたことのない人には、重さの違いが分かりません。自分で学んだことのない人には、AIの答えの良し悪しを判断できず、選ぶ責任を引き受けることもできないのです。
AIに知識を委ねられる時代だからこそ、学ぶことをやめた人からは、ふさわしさを見抜く目そのものが失われていきます。
センスは、才能ではありません。知識も、軸も、選球眼も、すべて後天的な学びが磨き上げるものです。「自分にはセンスがない」のではなく、「知識力=学びの密度×時間」が不足しているだけのことです。その現実を真摯に受け入れることが、センスを磨く第一歩であり、AIの時代を生き抜く第一歩でもあるのです。
『AI実践ドリル30日チャレンジ 仕事にすぐ効くAI活用』(日経BP)を紹介する連載が、日経クロステック(xTECH)に掲載されました。
第1回 ビジネスパーソンが生成AIの有償版を使うべきである理由
第2回 「事業変革推進室長」として生成AIで新規事業を企画する
第3回 AIの「魔法」をメール作成と悩みの「壁打ち」で体感
第4回 新規事業の「3段階の自立シナリオ」をAIで描く
第5回 AIにいきなり「斬新なアイデア」を求めるのは避けよ
本書は、これまでのAI本とは毛色が異なり、新規事業開発やマーケティングの実践ノウハウを、AIを使いながら体験的に学べる「ドリル」です。
AIの使い方を解説するのではなく、実際のビジネスの現場でどう使いこなし、新しい価値を生み出せばいいのかを、手を動かしながら身につけていただけます。
「AIをどう使うか」に留まっている限り、AIの真価は引き出せません。「AIでどう変わるか」、すなわちAIを前提として、仕事のやり方をどう変えればいいのか。それをお伝えしたくて書いた本です。まだの方は、ぜひご一読ください。
どうぞよろしくお願いいたします。



