私は、仕事柄、毎日文章を書いています。研修教材の作成、書籍やブログの執筆など、一日に数万字は書いているでしょう。そして、そのほとんどにAIを使っています。
ならば、それはAIが書いたのであって、「私が書いている」と言うのはおかしいのではないか。そう思われる方もいるでしょう。しかし、私は迷うことなく、「私が書いている」と申し上げることができます。そう言えるのは、AIとの対話のなかで、自分の「違和感」と「美意識」を徹底して追求しているからです。
この原則は、文章に限りません。お客様への提案書も、事業企画書も、プログラムのコードも同じです。AIが書いたことを、人がそれを鵜呑みにするなら、それは「AIが書いたもの」です。しかし、少しでも引っかかるところがあれば問い直し、納得できるまで対話し、最後に「これでいい」と自分が引き受けたのなら、それは紛れもなく「私が書いたもの」です。
あなたはどうでしょうか。AIが出してきた文章や提案書を、「私が書いた」と胸を張って言えますか。それとも、「AIがこう言っていたので」と、どこかで責任を手放していないでしょうか。
ある研修での試み
先日、ある大手IT企業で、次のような研修を行いました。
「社内外向け企画・提案力強化研修」 ~ 実践!AIを参謀に、1日で新規案件の構想から提案書作成までを完遂する ~
社内で進める事業企画書や、お客様への提案書の作成に、どのようにAIを使えばいいのかを実践する研修です。受講者の多くは、これまでAIを報告書や議事録の作成、あるいは少し気の利いた検索ツール程度にしか使っていませんでした。
そんな彼らに、まず求めたのは、企画や提案の起点となる「課題」を徹底して浮き彫りにすることです。Deep Researchを駆使して、お客様の事業状況、直面している課題、それをどう解決しようとしているのか、その戦略や施策といった客観的な事実を丁寧に調べ、お客様の目指す姿と、その実現に立ちはだかる壁を分析してもらいました。そのうえで、この提案で相対すべき課題とその背景を明確にし、解決のための最善策は何かをAIと相談して考えるように指示しました。決して、自分たちの売りたい製品やサービスを前提にしないこと、これも併せて伝えました。
もちろん、AIの出力を鵜呑みにしてはいけません。しかし、AIの文章は流暢で、もっともらしい。ついつい「そうなんだ」と押し流されてしまいます。だから、こう指示しました。自分には難しくてよく分からない言葉や説明、自分が考えていたことと違うこと、何でもいいから少しでも理解できない、納得できないことがあれば、AIに「とことん質問」してください、と。そして、最後にこう付け加えました。
「違和感があれば、これを必ず解消してください。」
違和感とは何か
「違和感」とは、自分が持つ規範や知識、思考のパターン、あるいは常識や思い込みとの「ズレ」です。AIの答えが理にかなっているのか、それとも自分の考えのほうが正しいのか。それを明らかにして、どうすべきかを判断する。これが、人に求められることです。このプロセスを経て、違和感が払拭され、納得を得たとき、初めてそれは自分の言葉になります。
AIは瞬時に膨大な情報を調べ、整理し、たくさんの解釈の選択肢を揃えてくれます。時には断定的に答えを示すこともあります。本当にそうなのか。もっと別の視点や解釈はないのか。自分の常識とはどこか違う。そんな葛藤を正直にAIに伝え、対話する。出てきたアウトプットに「もやもやする」「なんかよく分からないけれど気持ちが悪い」「なんか違うっぽい」という感覚があるのなら、それがなくなるまで対話する。そして、最後には「自分はこれを受け入れる」と決断する。
こうしたことを徹底して行い、提案するお客様の課題を描いていくわけです。研修はこの先も続きますが、提案のストーリーを決めるのも、プレゼンテーションをまとめるのも、やり方は一貫しています。自分が何をしたいのかを問い、AIが答えを出し、自分の違和感でAIと対話し、最後に自分が何を自分の言葉とするのかを引き受ける。この繰り返しです。
「AIを使うと考えなくなるのでは?」
そう言う人がいます。それは使い方次第でしょう。
そもそも、考えなくてもいいようなパターン化された知的力仕事は、AIが使われる以前から世の中にいくらでもありました。そういうものは「AIに丸投げする」のが、理にかなっています。一方で、この研修で行ったように、お客様の幸せを願い、AIの圧倒的な情報量と、それを分析し整理する力、知識を横断した解釈を人間に示し、人間はそれと徹底して議論する。そうすることで、人間が「考えること」にこれまで以上に多くの時間をかけられるようになる。こちらのほうが、はるかに健全だと思います。
このプロセスは、思考を凝縮し、集中させます。短時間のうちに、多くのことを考えざるを得なくなります。そして、人は最後に判断し、責任を引き受ける。「AIを使うことで、これまでにも増して深く、徹底して考えるようになる」ことに、受講者は気づいたようでした。ある人が講義の最後に、こう言いました。
「考えすぎて、頭が疲れました。」
AIを使って、頭が疲れる。この感覚を、あなたは最近味わったことがあるでしょうか。もしなければ、AIに何かを手渡してしまっているのかもしれません。
違和感はどこから生まれるのか
違和感こそが、人が考えることの原動力です。そして、その違和感が、AIを使いこなすための最強の武器です。
では、その違和感は、どこから生まれるのでしょうか。
知識を頭に入れるだけでは、違和感は生まれません。AIの出力に「なんか違う」と感じるには、「本当はこうであるはずだ」という手応えが、自分の内側になければならないからです。それは、日々の学び、人との対話、うまくいった経験と失敗した経験、そうしたものの積み重ねによって、身体に染み込んだ「実践知」です。
哲学者マイケル・ポランニーは、「人は語ることができるより多くのことを知っている」と述べ、これを「暗黙知」と呼びました。自転車に乗れる人は、なぜ倒れないのかを説明できなくても、倒れそうになれば即座に身体が反応します。熟練の営業担当者は、商談の空気が変わった瞬間を、言葉にできなくても察知します。ベテランの技術者は、コードを一目見て「ここは危ない」と感じます。理屈より先に、身体が「違う」と告げるのです。
違和感とは、まさにこの暗黙知が発する信号です。言葉として整理される前に、「肌感覚」や「空気感」として立ち上がってくる。だからこそ、違和感は、机上の学習だけでは磨かれません。お客様の現場に足を運び、その表情を見、声の調子を聞き、うまくいかなかった提案の悔しさを引き受ける。人と、身体と感情と感覚を伴って真摯に向き合う。そうした経験の総体が、実践知を育て、違和感の精度を高めていくのです。
ここに、ひとつの逆説があります。AIを使いこなすために必要なのは、AIの操作技術ではなく、AIの外側で積み重ねてきた、生身の経験だということです。あなたは、その経験を、いま積み重ねていますか。AIに任せられることが増えた分、現場から遠ざかってはいないでしょうか。
美意識という、もうひとつの基準
違和感とともに大切にすべきものが、美意識です。AIの答えは、美しいかどうか。
「美しい」とは、装飾や修辞のことではありません。無駄がなく、筋が通り、言いたいことが一本の線で結ばれている。読み手の立場に立てば、迷わず理解できる。文章であれば、そういう状態です。提案書であれば、お客様の課題と提案の間に、飛躍も余計な寄り道もない状態です。コードであれば、構造が簡潔で、意図が読み取れ、後から手を入れる人が困らない状態です。
この「美しい」という判断もまた、違和感と同じく、実践知が土台になっています。なぜなら、何が美しいかは、無数の「美しくないもの」を見て、その不具合を身をもって味わった人にしか分からないからです。冗長な文章を読んで疲れた経験、論理の飛躍した提案書でお客様を混乱させた経験、読みにくいコードの保守に苦しんだ経験。それらの積み重ねが、「こうあるべきだ」という基準を身体に刻みます。
つまり、美しさの本質とは、ものごとが、本来「あるべき姿」にあることです。あるべきものが、あるべき場所に収まっている。そこに、私たちは美しさを感じます。そして違和感とは、目の前のものと、その「あるべき姿」との間にあるギャップの感覚です。つまり、美意識と違和感は別々の能力ではなく、同じ実践知のふたつの現れです。美意識は「あるべき姿」を見る目であり、違和感はそこからのズレを察知する感覚です。美意識がなければ、何が違うのかを感じ取れず、違和感がなければ、美意識は自己満足に留まります。両者が揃ったとき、人はAIの出力を「まだ美しくない、ここが引っかかる」と判断し、対話を重ねて、自分の納得できる形へと磨き上げることができるのです。
ただし、ここで言う「あるべき姿」とは、万人が受け入れる正解のことではありません。もちろん、多くの人が納得する普遍的な型はあります。AIが得意なのは、まさにそれです。膨大な事例から「一般にはこうあるべき」という姿を、瞬時に、しかも見事に描き出してくれます。しかし、私たちが向き合っているのは、いつも「今この時、この現実」です。このお客様が、この局面で、この人たちとともに目指すべき姿は、過去の平均のなかには存在しません。それは、夢や情熱に突き動かされて、普遍的な型からあえて逸脱したところに見出される、個別の「あるべき姿」です。
一般の型に照らして違和感を覚えるだけなら、AIにもできるようになるでしょう。しかし、目の前の現実に向き合い、「この場合は、こうあるべきではないか」と、まだ誰も言葉にしていない姿を見出し、そこに賭ける。これは、その現実に身を置き、その人たちと関わり、そこに何かを成し遂げたいという意志を持つ者にしかできないことです。個別のあるべき姿を見出す力は、人間の実践知にしか宿りません。AIは、その姿が見えた人にとっては最強の参謀になりますが、その姿を代わりに見てくれることはないのです。
あなたには、「これは美しくない」と言い切れる基準がありますか。それは、どんな経験から生まれたものでしょうか。
実践知という土台
ここまで、違和感も美意識も「実践知」が土台になっていると述べてきました。この実践知とは何かを、少しだけ掘り下げておきます。
アリストテレスは、「いつでも、どこでも」成り立つ普遍を扱う学知と、「今、ここで、この人たちにとって」何が善いかを判断する知を区別し、後者をフロネシス(実践知)と呼びました。フロネシスには三つの特徴があります。個別の状況が何を求めているかを見抜く知覚を伴うこと。善さへの志向と切り離せず、判断する人の人柄と一体であること。そして、判断して行い、その帰結を自ら引き受けること。アリストテレスは、若者は数学には秀でているが、フロネシスを持つ者にはなりにくい、と言います。それは経験と、その経験を引き受けてきた時間からしか生まれないからです。
先に触れたポランニーの暗黙知は、これとは別の問いに答えています。フロネシスが「何のために、何を判断するか」という知の方向を問うのに対し、暗黙知は「人はどのようにして知るのか」という知の構造を問うものです。ポランニーは、人は諸々の細目を意識せずに統合し、一つの全体を身体で把握すると考えました。顔を見分けるとき、目や鼻の形を個別に意識しないのと同じです。
両者の関係を一言で言えば、暗黙知はフロネシスが働くための土台であり、フロネシスは暗黙知に方向を与えるものです。個別の状況を見抜くというフロネシスの知覚は、明示的な推論ではなく、暗黙的な統合として起こります。一方、暗黙知そのものは善悪に関わりません。詐欺師にも熟練の暗黙知はあります。それを「あるべき姿」に向けて働かせるとき、初めてフロネシスになります。
本稿の言葉に戻せば、違和感とは、暗黙的な統合がうまく成立しないという身体からの信号であり、美意識とは、この状況における「あるべき姿」を見るフロネシスの目です。同じ実践知のふたつの現れだと述べたのは、この意味においてです。
こう整理すると、個別の「あるべき姿」がなぜ人間にしか見出せないのかも、はっきりします。フロネシスは、個別の現実に身を置いて知覚し、判断の帰結を自らの人生として引き受ける者にしか働きません。普遍の学知と、それに沿って作り出す技術に秀でたAIには、そのどちらもないのです。
「私が書いている」と言えるために
AIは、これからさらに賢くなり、より流暢に、よりもっともらしく語るようになるでしょう。その出力を、そのまま受け取るのか、それとも違和感と美意識で問い直すのか。この違いが、AIを使う人と、AIに使われる人を分けていきます。
AIを使いこなし、それを最強の武器にするために、人間は違和感と美意識を追求すべきです。それは、AIを学ぶことではなく、人と向き合い、現場に立ち、経験を身体に刻み続けることによってしか育ちません。
アリストテレスは、何かを作ること(ポイエーシス)と、善く行うこと(プラクシス)を分けました。文章や提案書やコードを作ることは、AIが担えます。しかし、このお客様に、この局面で、何を語るべきかを判断し、その帰結を引き受けることは、人にしかできないプラクシスです。
それがあればこそ、AIを使って文章を書いても、提案書をまとめても、コードを生成しても、「私が書いている」と言い切れるのです。「私が書いている」とは、プラクシスの部分を自分が引き受けている、という宣言なのです。
あなたは今日、AIに何を問い返しましたか。
【募集開始】ITソリューション塾・第53期・10月7日(水)開講
AI時代を生き抜くための最新ITトレンドとビジネスの常識を手に入れる
「AIをどう使えばいいのか?」
いまなお、この問いに留まっているとすれば、AIの本質は、まだ見えていないのかもしれません。
18世紀後半の産業革命、20世紀半ばのIT革命。これらは、新しい技術が暮らしを便利にし、生産性を高めただけではありません。社会の仕組みや制度、働き方や雇用のかたち、ビジネスの常識、そして人々の生き方にまで及び、世の中を根底から変えてしまいました。
私たちはいま、AI革命の只中にいます。AIを数ある道具のひとつとして扱い、「どう使うか」を考えている限り、その真価を引き出すことはできないでしょう。問いは、すでに変わっています。
「AIで、ビジネスは、社会は、どう変わるのか?」
この問いに答えを持たないまま、システムを提案し、要件を定め、投資を判断する。それは、地図を持たずに航海に出るようなものです。
ITソリューション塾は、2008年の開講以来、約5000人の卒業生を送り出し、今年で18年目を迎えます。ユーザー企業の情報システム部門やDX推進の担当者、IT企業の営業やエンジニア、経営に携わる方々。立場は違っても、「ITの現在地を体系的に掴みたい」という思いは同じです。
この塾では、技術の名前を並べて覚えるのではなく、その背後にある仕組みと潮流を読み解きます。AIやクラウド、アジャイルやDevOpsといった個々のテーマが、なぜいま重要なのか、互いにどうつながっているのか。そのつながりが見えたとき、ニュースの見え方も、お客様との会話も、明日の判断も変わります。講師は、第一線の現場で今まさに実践している人たちです。教科書にはない、生きた知見をお伝えします。
そして、最後にもうひとつの問いを、皆さんとともに考えたいと思います。
「AIで、自分をどう変えるのか?」
技術の変化を眺める側にいるのか、変化を起こす側に立つのか。10週間後、その答えを自分の言葉で語れるようになっていただくこと。それが、この塾の目指すところです。
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日程 初回 2026年10月7日(水)〜最終回 12月16日(水) 毎週18:30〜20:30
※11月10日(火)のみ火曜開催
回数 全10回+特別補講
定員 120名
会場 オンライン
料金 ¥90,000-(税込 ¥99,000)
全期間の参加費と資料・教材を含む
※詳細はこちらをご覧ください。
『AI実践ドリル30日チャレンジ 仕事にすぐ効くAI活用』(日経BP)を紹介する連載が、日経クロステック(xTECH)に掲載されました。
第1回 ビジネスパーソンが生成AIの有償版を使うべきである理由
第2回 「事業変革推進室長」として生成AIで新規事業を企画する
第3回 AIの「魔法」をメール作成と悩みの「壁打ち」で体感
第4回 新規事業の「3段階の自立シナリオ」をAIで描く
第5回 AIにいきなり「斬新なアイデア」を求めるのは避けよ
本書は、これまでのAI本とは毛色が異なり、新規事業開発やマーケティングの実践ノウハウを、AIを使いながら体験的に学べる「ドリル」です。
AIの使い方を解説するのではなく、実際のビジネスの現場でどう使いこなし、新しい価値を生み出せばいいのかを、手を動かしながら身につけていただけます。
「AIをどう使うか」に留まっている限り、AIの真価は引き出せません。「AIでどう変わるか」、すなわちAIを前提として、仕事のやり方をどう変えればいいのか。それをお伝えしたくて書いた本です。まだの方は、ぜひご一読ください。
どうぞよろしくお願いいたします。





