司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読了。文庫本で全8巻。大作を読み終えた感動もさることながら、親しくなった人とお別れするような寂しさを感じる。 ついつい引き込まれてしまう内容で「電車の中でしか読まない」と自己規制。でも、結局家に帰っても読んでしまい、あっという間に読み終えてしまった。いゃあ、面白かった。
本書は、文明開化の明治初めから、日露戦争が終わる明治30年頃までの物語。文明開化と共に世界の列強に伍して、その仲間入りを果たして行こうとする明治の人たちの熱い物語だ。ふたりの軍人「秋山好古と秋山真之の兄弟」と文人「正岡子規」を軸に、新しい時代を切り開らこうとする人たち。そういう彼らに常にオープンでチャンスが与えられていた明治という時代の躍動が、生々しく伝わってきた。
司馬遼太郎という作家。まるで、その時代を生きていたかのように、その描写は実に活き活きとし、その場の情景が、ドキュメンタリー映像を見ているように、目の前に広がってくる。よくこれだけ調べたものだと感心するが、なんと調査5年、執筆5年をかけたとのこと。しかも、戦場での作戦展開は、地図を広げて机上で実際にシミュレーションしたというのだから徹底している。なるほど、リアリティがあるはずだ。 登場人物の心の機微も実に繊細。歴史書ではなく、歴史小説とくくられる意味がわかる。
彼は、この作品を40代で書き上げたとのこと。彼と自分を比べること自体僭越なことではあるが、まさに同年代の私にとっては、改めて彼の卓越した才能を感じ、自信のふがいなさを思う。
さて、この本は、「ソリューション営業」を考える上で、大いに参考になる。戦略と戦術の本質、政略が如何に戦略や戦術を左右するか。そのことが、実にリアルに描かれている。100年以上も前の物語であるにもかかわらず、なんら色あせていない。 国家と戦争の物語であり、身近な営業の仕事に比べれば、規模が違うが、組織を攻略し、勝機を掴む心得というのは、その本質において何ら違いはない。
「ソリューションを売る」と言う仕事は、ある意味では、戦争のようなものだ。お客様があり、競合他社がいる。その中で、如何に競合優位を際ただせ、お客様の期待に応えるか。そこには、緻密な計算に裏打ちされた、戦略や戦術がある。 この物語の舞台になった日露戦争当時、日本はロシアに対して規模や総合力では、明らかに劣勢に立っていた。それを押しのけ、勝利を得たのは、知恵であり、信念だ。
現実の営業の現場を考えてみても、絶対優位に立てるケースは少ない。どこのベンダーもネットワークはCISCO、OSはWindowsかLinux、CPUはほとんどがIntelの時代。アプリケーションもパッケージの時代になり、どこのベンダーでも同じ商品が扱える。製品に絶対的優位は見いだしにくい。それでも、営業は競業他社に勝ち、ビジネスをものにしなければならない。
そこに必要なものは、戦略や戦術であり、政略である。お客様の経営や業務上の課題。競合他社と自分たちの強み弱み、お客様の業界の動きやそこでポジション。いろいろな要素が、ビジネスを取り巻いている。その組み合わせの中から、自社の競合優位をどのように示すかが必要である。
競合他社との真っ向正面対決がいいのか、協業して棲み分けるべきなのか。あるいは、利益を度外視してでも先ずは、お客様に食い込んで、中長期でビジネスを確保すべきか。お客様の期待しているもの以上のものを提示することで、お客様をこちらの土俵に上げてしまうことも必要かもしれない。強力な大手企業と組んで、競業他社を圧倒すると言う方法もある。戦略とはそういうものだ。
規模がおおきなビジネスほど、意志決定のプロセスは複雑になり、経営課題への対応、経営トップの判断に大きく左右される。また、部門をまたがる力関係にも配慮しなければならない。どんなに、優れた戦略を展開しても、こちらの独りよがりであっては、お客様に支えてもらうことはできない。政略が必要になる。
「ソリューション営業」とは、突き詰めてゆけば、そんなことも考えてゆかなければならない。ただ、前回申し上げたことだが、そこには、原理原則である「営業活動プロセス」がある。なにも無手勝流に鉄砲をぶっ放す必要はない。 定石を見定め、この状況ではどのような手を打つべきか、冷静に考えれば、その時点での最善の答えが見つかる。
「坂の上の雲」の時代、日本はまだまだ「戦略的合理性」というものの価値が大切にされていた。しかし、僅か30年後の第二次大戦の時代、「神性」や「顔を立てる」など、神秘性や情緒性が、戦争戦略を左右していた。このあたりのことは、 「失敗の本質(ダイヤモンド社)」 という本に詳しい。
ビジネスは、お客様にとっても、自社にとっても「合理的」であるべきだ。「どれだけ投資すれば、いくら儲かるのか」である。人間関係だけに頼り、ビジネスを掴もうとしても、いずれは限界が来る。「あいつの顔をつぶすわけには行かない。」「あいつはよくやっているから、何とか顔を立ててやろう。」では、合理的とは裏腹な意志決定のプロセスだ。お客様や自社にとって合理的であること。そして、それをわかりやすく、しかるべき人に伝えること。いうなれば、それが営業活動における戦略/戦術/政略である。
「坂の上の雲」は、我々の直面する仕事の常識を、明治の戦争を通して語っているようにも思えた。