「終身雇用」という幻想
昭和初期に55歳定年制がスタートしました。その頃の平均寿命は50歳にも満たず、定年が55歳であれば、そのまま「終身雇用」となりました。1950年の平均寿命は、男性58歳・女性61歳です。当時始まったサザエさんの磯野波平氏の設定年齢は54歳で、そのころの定年は 55歳ですから、翌年には定年を迎え、退職金と年金で数年の余生を送ればよかったわけです。そんな時代であれば、「終身雇用」と現実に齟齬はありませんでした。
その後も平均需要は伸び続け、いまや平均年齢は男性81歳・女性87歳です。2013年に65歳定年が義務化されましたが、定年を迎えても20年近くは、生きていかなくてはなりません。もはや、「終身」という言葉は名ばかりとなってしまいました。
「定年のない人生」にスイッチするための働き方
人生100年時代などといわれますが、そうなれば、会社に生活の糧を頼れるのは、人生の半分ちょっとでしかありません。定年を迎えた残りの人生をどのように生きていくのかを、自分でなんとかしなければなりません。会社がなんとかしてくれる、国がなんとかしてくれると考えたいところですが、そんな甘い話はありません。自分でなんとかする覚悟を決めて、行動するしかありません。
さっさと会社を辞めて、「定年のない人生」を歩むために、自ら起業してはどうでしょう。ひとつの仕事にこだわらず兼業で、収入源を多様化するという選択肢もあります。そんな選択に年齢は関係ありません。いつでもそんな選択できる「自分を磨く」働き方が大切なのだと思います。
「働く」が、「お金をもらうために仕方なくやっていること」でしかないのならば、このような選択はなかなかできません。兼業なんて苦行でしかないでしょう。そもそも起業しようなんて発想は生まれてきません。
ならば、自分の会社員としての仕事に精進し、極めることだと思います。会社から評価されレベルに留まるのではなく、社会から評価されるレベルまで極めることです。そうやって積み上げた経験を世のため、人のために使い、さらに磨きをかけて、どこに行っても使えるプロフェッショナリティを輝かせることです。そうなれば、会社でも必要とされるでしょう。会社員として働くのなら、そんな「定年のない人生」も選べる働き方を心がけるべきだと思います。
「定年のない人生」を選択したら何をするか
私は、36歳の時にその選択をしました。私は、営業としてのプロフェッショナリティを磨いてきたとの自負はありました。まあ、しょせんは自己評価であり、勝手にそう思い込んでいただけですが、そういう楽天的な性格だったので、会社を辞めることに不安がなかったのでしょう。
それからのおよそ30年、必ずしも順風満帆とは言えませんでしたが、なんとか生き延びてきたのは、次の3つのことを心がけてきたからかも知れません。
つながる:
最初の頃は、誰かに紹介されれば、とにかく会うことにしていました。自分の思いこみで判断せずに、まずは会ってみることを心がけました。勉強会やコミユニティにも心がけて参加しました。そんなところから生まれた人のつながりが、いまも大きな財産となっています。
全てが仕事につながるわけではありませんが、多様な価値観やロールモデルに接して、とても視野が広がりました。もちろん仕事でも助けて頂くことは、数知れません。なんとか食いつないできたのは、そんな人の財産があったからに他なりません。
続ける:
飽きっぽいことにかけては、昔から自信がありました。そんな私ですが、続けていることが、いくつかあります。それはブログです。ブログが話題になり始めた2008年から始めて、毎日書いています。投稿数は約5000回です。ITソリューション塾も2008年に開講し、毎年3期(いまは11回/期)、現在45期を開催中です。ちゃんとは数えていませんが、延べ受講者数は、3000人は越えていると思います。
いずれも最初は数人からでしたが、いまでは大勢の皆さんにブログをご覧頂けるようになりました。塾の参加者も口コミで拡がりますから、たいしたプロモーションをしていません。ただ、そうなるまでには何年もかかりました。
最初の頃のクオリティは、いま思えば目を被いたくなるレベルです。それでも続け、数をこなすことで、クオリティに磨きがかかり、それなりになりました。これをきっかけに書籍の出版、講演や講義の講師としてご依頼頂く機会も増えました。「継続は力なり」といいますが、まさに身をもって、この言葉の真実を実感しています。
やってみる:
考えないわけではありません。しかし、私のような凡人が考えたところで、たいした知恵は出てきません。ましてや、変化が速く予測が困難な時代にあっては、考えたところで、絶対の正解にたどり着くことはできません。
とりあえず考えて、いけそうだなと思ったら、とにかくやってみます。ほとんどが失敗か、思い通りにはなりません。想い描いた成果は出なくても、いろいろと気付きはあるものです。そして、まったく違う方向に向かうこともありますが、そういう一貫性のない生き方が性に合っている気がします。
そんなことをやっているうちに、何か分からないけれども、天啓みたいなひらめきを得て、これだ!と取り組んでみることもあります。しかし、そんなに天啓などというものは、凡人に下りてくるものではありません。
そんなことを繰り返していると、なんだか結果として、成果につながっていきます。そうこうしているうちに、なんだか仕事になってきて、食い扶持にも困らなくなってきたように思います。
夢や理想を想い描き、それを必死に実現しようと精進するというのは、自分には向いていないように思います。やりたいことをやってみて、成り行き任せの生き方です。それでもなんとかなってきたのは、そんな生き方を受け入れてくれる社会があるからなのかも知れません。
AIに仕事を奪われる時代だからこそ「定年のない人生」が必要だ
AIの進化によって、人間が行っていた作業の多くが、なくなってくことは、自然の摂理です。歴史をふり返れば、技術や道具の発達が、人間の仕事を置き換え、なくなってしまった職業は沢山あります。それでも、人間は、その時々に「人間にしかできないことを」見出し、あらたな仕事を生み出し続けてきました。そうやって、技術や道具の発達とともに、社会や経済、生活もまた発展してきたのだと思います。
AIもまた、そんな人間と技術によってもたらされた進化の過程の1つと言えるのではないでしょうか。そんな自然の摂理に逆らえるはずもなく、また不安を募らしても意味はありません。むしろそんな変化を自分の味方につけることだと思います。
これからどうなってしまうのかに思い煩ったところで、そんなことは誰も分かりません。ならば、自分が何をしたいのか、どういう生き方をしたのかを考え、やってみるしかありません。そうすれば、自ずとこんな時代の生き方を見出すことができるのではないでしょうか。
そのためには、頭の中だけで考えて答えを出そうとするのではなく、「つながる」、「続ける」、「やってみる」ことで、身体で感じて、答えを見つけていくしかないように思います。これこそが、AIには決してできない人間ならではの生き方のような気がします。
また、「会社や国はこうすべきだ」と行ったところで変わりません。それよりも、自分もまた会社や国を構成している当事者のひとりであるという自覚を忘れないことだと思います。会社をこうしたい、国をこうしたいと思うのであれば、まずは自分の行動をそれにふさわしいものにすればいいのではないでしょうか。そうすれば、共感者が増え、人がつながり、仲間が集まり、やがては大きな力になって、会社や国を変えていくのだと思います。
他人を変えることなどできません。変えられるのは自分だけです。会社や国が、「どうこうしてくれない」から、自分もできないというのは、いまの時代には通用しないように思います。
「定年」というスイッチがない生き方を目指す
変化の乏しい江戸時代に生まれていたら、自分はどんな生涯を送るかは、生まれた時に決まっていました。人生の正解は、予め用意されていて、それに従って生きれば、50年の生涯を無事に送ることができました。
しかし、3年、いや1年先も分からない変化が速く予測できない社会に生きている私たちにとって、誰かに正解を求めることなどできません。考えて、やってみて、その結果から判断し、修正を繰り返し、自分で自分の正解を創り続けなくてはなりません。
ChatGPTが登場して1年ほどで、これほどまでに社会が大きく変わってしまう訳ですから、3年先なんて誰が想像できるでしょうか。そんな時代を100年生き延びなくてはならないとすれば、さっさと「終身雇用」の幻想に別れを告げて、「定年のない人生」へと切り替えていくべきではないかと思います。
会社や国に期待しても、正解を与えてくれるわけではありません。やってみて、その結果から考えて、その時々の自分の答えを作り続けるしかないように思います。
「終身雇用」という会社に頼れる、あるいは、会社が答えを与えてくれるのは、人生の半分までです。その先は、自分で自分の答えを創るしかありません。「定年」というタイミングで、一瞬にしてスイッチを切り替えることなどできません。ならば、「定年のない人生」のための準備は、早いうちからやっておくべきではないかとおもいます。
私が30年前に「営業で起業する」なんて、非常識な選択だったかも知れません。しかし、いまなら何でもありです。会社という組織に縛られない「自分という商品」を売り出す手段はいくらでもあります。そんな人生の選択肢も視野に入れておくべきかも知れません。
生成AIの急速な発展は、社会の変化を加速して、人間とAIとの役割分担を急速に変えていくでしょう。会社でやっていた自分の仕事が、かなりの確率でなくなってしまう覚悟が必要です。
だからこそ、人間にしかできないことを模索し続けなければならないし、こういう技術の発展を自分スキルやキャリアに活かすための方法を、試しながら考え、見つけていくことが必要なのだと思います。
そういう人は、会社にも必要とされるでしょうし、「定年のない人生」にスイッチしても仕事に困ることはありません。自分の人生の選択肢を拡げられるのです。
そろそろ、「終身雇用」の幻想に別れを告げて「定年ない人生」へと切り替える行動を始めてはどうでしょうか。